江戸時代末期の天保年間(1831~1845年)、下総国古河藩(現・茨城県古河市)第4代藩主であった土井大炊頭利位(1789〜1848年)は、蘭学者である家老・鷹見泉石の協力のもと雪の結晶を観察・記録し、その結晶を「雪華」と名付けました。天保3年(1832年)には、その成果として86種類の結晶スケッチを収録する「雪華図説」を刊行。天保11年(1840年)には97種類を収録した「続雪華図説」を刊行しました。
30年にわたって雪の結晶の観察を続け、図説を刊行した利位らの業績は、日本人に雪の結晶が単一ではなく数多くの種類があることを教示し、六方対称であることを正しく認識させた点で自然科学史上きわめて重要な意義を持ちます。この雪華模様が別名「大炊模様」と呼ばれたのは利位の官職名からきていますが、雪の結晶模様はきものの柄に使われ「雪のお殿様」として江戸庶民から広く親しまれることとなりました。
右図:「江戸の松 名木盡」渓斎英泉(古河歴史博物館所蔵)
雪の観察方法
- 雪が降りそうな寒い夜、あらかじめ黒地の布を外にさらして冷却
- 舞い落ちる雪を、その布で受ける
- かたちを崩さぬよう注意して、ピンセットで取り黒い漆器の中に入れる
- 吐息のかからぬよう蘭鏡で観察する